レブロンの“次”に選ばれた男
2003年のNBAドラフトは、歴史に残る当たり年だった。全体1位はレブロン・ジェームズ。そして全体2位にデトロイト・ピストンズが指名したのが、セルビア出身の長身ビッグマン、ダルコ・ミリチッチだった。
問題は、この後に指名された顔ぶれだ。3位カーメロ・アンソニー、4位クリス・ボッシュ、5位ドウェイン・ウェイド——いずれも後にオールスター級、殿堂級になるスターたちである。つまりミリチッチは、彼ら全員より“先に”選ばれた存在だった。期待は当然、とてつもなく大きかった。
“史上最大級のドラフト失敗”
しかし、NBAでのミリチッチは期待にまったく応えられなかった。1年目から所属したピストンズは2004年に優勝するが、彼の出場機会はごくわずかで、優勝に貢献したとは言いがたかった。ピストンズでの約2年半は96試合の出場、平均1.6得点にとどまっている。
その後はマジック、グリズリーズ、ニックス、ティンバーウルブズ、セルティックスと6球団を渡り歩いたが、全体2位という肩書きに見合う活躍はついにできなかった。後にスターになったメロ・ウェイド・ボッシュと比べられ続け、ミリチッチは『史上最大級のドラフト失敗(バスト)』の代名詞として語られるようになる。
母国の畑で見つけた、もう一つの成功
NBAを去った後、ミリチッチが選んだのはバスケットボールとは無縁の世界だった。母国セルビアに戻り、農業を始めたのだ。しかも片手間ではない。約125エーカー(東京ドーム10個分以上)という広大なリンゴ農園の経営に本格的に乗り出した。
彼は本気だった。わざわざイタリアまで足を運んで土壌や品種、栽培法を学び直し、これまでに約800万ドルを投資したと報じられている。生産は年々安定し、年間1万ポンド規模の収穫を上げるまでになった。さらにサクランボなど他の作物にも事業を広げる計画だという。コートでは結果を出せなかった男が、畑では“成功した経営者”になっていた。
「失敗」の物差しは一つではない
ミリチッチの話が面白いのは、NBAという物差しでは『失敗』でも、人生という物差しでは『成功』だという点だ。本人もメディアで、プレッシャーだらけのNBA生活より、今の農園での暮らしの方がずっと幸せだと語っている。
ドラフト全体2位という重圧、スターたちと比べられ続けた日々から離れ、自分の手で育てた果樹園で穏やかに成功する——。総資産ランキングの上位に並ぶ億万長者たちとはまた違う、『コートを降りた後の大成功』として、ミリチッチの第二の人生はNBAの中でも特にユニークな物語だ。