ショットクロック誕生
フォートウェイン・ピストンズ対ミネアポリス・レイカーズの19-18という異常な試合は、NBAが“時間を止める競技”から“攻め続ける競技”へ変わる象徴になった。
19-18はただの珍記録ではなかった
1950年11月22日、フォートウェイン・ピストンズはミネアポリス・レイカーズを19-18で破った。現在の感覚では1クォーターどころか数分で届きそうな点数だが、当時はボールを保持して時間を潰すストール戦術が成立していた。
特にジョージ・マイカンを擁するレイカーズのような強豪に対して、相手がまともに打ち合う必要はなかった。リードしたら攻めずにボールを回し、相手を焦らせる。ルール上は問題なくても、観客にとっては退屈な試合になりやすかった。
24秒はNBAを“見られる競技”に戻した
ショットクロック導入の中心にいたのが、シラキュース・ナショナルズのオーナーだったダニー・バイアソンだ。彼は試合全体の理想的なシュート本数から逆算し、24秒という数字を提案したとされる。
1954年にショットクロックが導入されると、チームは攻めざるを得なくなった。ボールを持ち続けるだけでは勝てない。これによりテンポが上がり、得点も伸び、NBAはようやくエンタメとしての魅力を取り戻していった。
現代NBAの原点にあるルール変更
いまのNBAは、トランジション、3P、スペーシング、早い判断が当たり前になっている。しかしその大前提には、24秒以内に攻撃を完結させるというルールがある。
19-18の試合は、NBAが変わらなければファンを失うという危機感を可視化した出来事だった。ショットクロックは単なる細かいルールではなく、リーグの生存戦略そのものだったと言える。
この記事はNBA.Navi編集部が作成・更新しています。