カリーはウォリアーズに行きたくなかった?
カリー本人や家族側はニューヨーク行きを望んでいたとされる。しかしウォリアーズが7位で指名したことで、NBAの3P革命はベイエリアから始まった。
カリーとニックスはかなり近かった
2009年ドラフト前、カリー側がニューヨーク行きを望んでいたという話は有名だ。本人も後年、ニックスに行く可能性を意識していたことを語っている。会場がマディソン・スクエア・ガーデンだったこともあり、ニューヨークの空気はかなり濃かった。
だがウォリアーズが7位でカリーを指名し、8位のニックスには順番が回らなかった。ニックスはジョーダン・ヒルを指名することになる。ここでNBAの未来は大きく分岐した。
当時のウォリアーズは理想の行き先に見えなかった
今でこそウォリアーズは近代NBAの王朝として語られるが、2009年当時はそこまで魅力的な行き先ではなかった。チームは安定した強豪ではなく、カリーもモンタ・エリスとの共存や足首の怪我など、序盤は不安要素が多かった。
それでもウォリアーズはカリーを残し、クレイ、ドレイモンド、カー体制へとつなげた。もしニックスに行っていたら、同じようにオフボールを最大化する環境が作られたかは分からない。
行きたくなかった場所が、革命の発信地になった
この話の面白さは、本人の希望と歴史の結果が真逆になったことだ。カリーがウォリアーズに入ったからこそ、チームは彼を中心にスペーシングと3Pの価値を極限まで広げられた。
ドラフトは選手の希望通りに進むとは限らない。だが、そのズレがリーグ全体を変えることもある。カリーの7位指名は、NBAが3P時代へ進む入口だった。
この記事はNBA.Navi編集部が作成・更新しています。