クリス・ポールが優勝できた可能性 TOP5

アシスト王5回、スティール王6回、オールNBA11回。NBA史上屈指のポイントガードであるクリス・ポールには、優勝に届きかけた瞬間が何度もあった。キャリアを左右した5つの分岐点を振り返る。

クリス・ポールが優勝できた可能性 TOP5

クリス・ポールのキャリアに残る最大の問い

クリス・ポールは、NBA史上最高級の司令塔として語られるポイントガードだ。ゲームメイク、ミドルレンジ、ディフェンス、リーダーシップのすべてが高水準で、アシスト王5回、スティール王6回、オールNBA11回という実績も申し分ない。

それでも優勝リングだけは届いていない。だが、ポールのキャリアを振り返ると、単に優勝に縁がなかったという話では片付かない。あと1勝、あと1本、あと1つの健康、あるいはあと1つの承認で、NBAの歴史が変わっていた可能性が何度もあった。

第5位 2008年 ホーネッツ

22歳のポールは、ニューオーリンズ・ホーネッツを56勝へ導き、MVP投票でも2位に入った。若くしてチームを完全に掌握し、当時のウェスタン・カンファレンスで本気で勝ち上がれる存在に押し上げたシーズンだった。

カンファレンス準決勝では王者サンアントニオ・スパーズを相手に3勝2敗とリード。あと1勝でカンファレンスファイナルだったが、最後は逆転で敗退した。若きポールが初めて本格的に優勝を狙えた、最初の大きな分岐点だった。

第4位 2015年 クリッパーズ

2015年は、いわゆるロブシティ・クリッパーズの勝負年だった。1回戦では前年王者スパーズを撃破し、ポール自身も第7戦で劇的な決勝点を決めた。勢いだけを見れば、この年のクリッパーズは十分にファイナルを狙えるチームだった。

ところがカンファレンス準決勝でヒューストン・ロケッツ相手に3勝1敗と王手をかけながら、第6戦で大逆転負け。そのまま第7戦も落とした。ポールのキャリアだけでなく、ロブシティ全体にとって最大級の取りこぼしだった。

第3位 2021年 サンズ

2021年、ポールはついにNBAファイナルへ到達した。フェニックス・サンズは若いデビン・ブッカー、ディアンドレ・エイトンらと噛み合い、ポールの経験と試合運びがチームを一段上へ引き上げていた。

ファイナルではミルウォーキー・バックス相手に2勝0敗で先行。優勝まであと2勝だった。しかしそこからヤニス・アデトクンボが歴史的な支配力を見せ、バックスが4連勝。ポールにとって、実際の距離としては最も優勝に近づいた瞬間だった。

第2位 2011年 レイカーズ移籍消滅

2011年のレイカーズ移籍消滅は、単なるトレード不成立ではない。ポールは三角トレードでロサンゼルス・レイカーズへ移籍することが事実上まとまっていた。もし成立していれば、コービー・ブライアントとクリス・ポールという夢のバックコートが誕生していた。

ところが当時のニューオーリンズ・ホーネッツはNBA本部の管理下にあり、デビッド・スターンが取引を承認しなかった。通常、NBAが成立済みのトレードを止めることはできないが、この件はリーグが球団を保有していたからこそ起きた例外だった。コービー晩年、ポール全盛期、さらにドワイト・ハワード獲得の可能性まで考えると、NBA史上最大級のifと言える。

第1位 2018年 ロケッツ

最大のもしもは、やはり2018年のロケッツだ。相手はステフィン・カリー、ケビン・デュラント、クレイ・トンプソン、ドレイモンド・グリーンを擁する史上最強クラスのゴールデンステイト・ウォリアーズ。それでもロケッツはシリーズを3勝2敗とリードした。

あと1勝というところで、ポールがハムストリングを負傷。第6戦、第7戦を欠場し、ロケッツは逆転負けを喫した。ウォリアーズはそのまま優勝。もしポールが健康だったらという問いは、今でもNBAファンの間で語られる最大級のifである。

クリス・ポールのキャリアは紙一重だった

ポールのキャリアを振り返ると、2018年の負傷、2021年のファイナル逆転負け、2015年の3勝1敗からの敗退だけでも十分に不運だった。実力不足だけで説明できるキャリアではなく、優勝に届く寸前で何度も流れが変わっている。

その中でも2011年のレイカーズ移籍消滅は特別だ。もしデビッド・スターンが承認していたら、ポールのキャリアも、コービーの晩年も、NBAの歴史そのものも変わっていたかもしれない。優勝できなかった選手としてではなく、何度も歴史の分岐点に立った司令塔として、クリス・ポールは語られるべき存在だ。

この記事はNBA.Navi編集部が作成・更新しています。